その会社では一人ひとりにパソコンがある。
しかし、一般の社員はデスクトップであるのに対し、管理職はノートパソコンであった。
皆、ノートパソコンのほうが場所をとらなくて格好がよいし、持ち運びもできるので、
前々からノートパソコンに替えてほしいと思っていた。
そして、ようやく一般の社員にもノートパソコンが支給されることになった。
皆、大喜びだ。目を輝かせて喜々としてキーに触れて、感触を楽しんでいる。
早速、上司のところにいって、喜びを満面に見せて「ありがとうございました」という者もいる。
上司も部下たちがそのように喜んでいる様子を見れば、気分もよい。
部下に感謝されて上機嫌で仕事に励んでいたその上司は、自分の仕事にひと区切りついたので、
席を立って、オフィスの中をまわってみた。そして、部下の一人の席に行って、
「新しいパソコンの調子はどうですか」と聞いてみた。
すると「いいですが、上の人たちは皆、これまでずっと、このようによい思いをしていたのですね」
という返事が返ってきた。上司としては感謝の表明がされるのを期待していたのに、
ひにくっぽい恨み言を聞かされた。
鼻白む思いになり、早々にその場を立ち去った。
その恨みがましい発言をした部下も、新しいノートパソコンを支給されて、うれしかったのである。
しかし、それまで上司たちを羨ましく思っていた気持ちに焦点を当てて表現してしまった。
過去に持っていた不満をぶちまけたかたちになるので、上司の機嫌が悪くなるのも無理はない。
それに反して、現在の喜びをそのまま表現して礼をいいにきた部下の素直さは、非常に光って見える。
うれしいことがあったら、その点だけに焦点を当てて喜び、その喜びをもたらすのに寄与した人に
感謝の意を表明する。感謝された人は、同じように喜ぶ顔を再度見たいと思う。
それが人間の自然な感情である。よく何か人にしてもらったときに、「同じしてくれるのであれば、
もう少し早くしてくれたらよかったのに」などと思うことがある。
しかし、それは自分勝手な願いであって、相手の人にもそれまではできなかった理由や事情がある。
それに、してくれたことだって、まだ先に予定していたのに、早めにしてくれたのかもしれないのだ。
したがって、自分にとってうれしいことをしてもらったときには、現在目の前の事実を単純に喜ぶ。
そして、その気持ちをそのまま素直に表現する。
恨みがましいことをいったのでは、嫌われるばかりである。
「喜び上手な人」と「喜び下手な人」がいる。
「喜び上手な人」は、「喜ばせ上手」な人でもある。
その喜びが大きければ大きいほど、相手の喜びは大きくなる。
逆に、ゼンゼン喜ばなかったり、むしろ相手を冷やすようなことを言う人には、
「がっかりする」を通り越して怒りさえ感じるかもしれない。素直に、無邪気に喜ぶ人には「可愛げ」がある。
可愛げがある人は、男女、年齢を問わず、誰からも好かれる。
喜び上手な人でありたい。
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